昭和52年10月15日 朝の御理解



 御理解 第71節
 「ここへは信心のけいこをしに来るのである。よくけいこをして帰れ。夜夜中、どういうことがないとも限らぬ。おかげはわがうちで受けよ。子供がある者や日傭取りは出て来るわけにゆかぬ。病人があったりすれば、捨てておいて参ってくることはできぬ。まめな時ここへ参って信心のけいこをしておけ。」

 教祖様はよくこういう、まあいうなら手立てと申しますか、信心を愈々進めさせる。愈々信心を分からせる。お徳を力を与えようとなさる、そのまあ一つのテクニックの様なものでしょうけれど、ここん所をやはり教祖様のお言葉の、例えば裏を本当の真理真偽というものを分からせて頂く。そこから本当の信心の稽古ができてくるんのです。例えば今日の御理解の、その所には例えば日傭取りやらは出て来る訳にはいかんと。
 うちに病人がおったりしたら、病人を外す訳にはいけん、という風に仰ってられますですね。はあそうだなと言うたら、けれどももう信心は大体それまでです。信心の成長というのは、そこんところをです。それこそ病人がおっても、自分がついておるからと言うて、治る訳じゃないのだから、そこを神様にお任せしてお縋りに参ってくる。成程日傭取りで一日でも休むことはできん。
 だからそこんところを、人よりも一時間早う起きる、人よりも一時間遅く休むと言う様に、時間を捻出してお参りをする。お金のないものはお供えせんでもええ。それでも何とかどうとかして。久留米の石橋先生の教えておられる事の中に、ない袖は振られんというがその袖の下、袖のもう一つ下を振らなければと仰っておられます。はあもう神様がちゃんと、いまあんたがたんきつい事はは知っちゃる。
 まあそげん心配せんが良か、と私でもそう申しますですね。例えばまあさあ記念祭というのに、本当に皆さんのごたる御用も出来ませんですみませんと。いいえそげん無理する事は要らんと、神様はちゃんとご承知じゃからと。やっぱりそう。だから親先生もああ言いなさるけんと言うて、そのそういういうならば、安易なほうを取ったんでは、おかげは受けても力は受けませんですね。
 昨日もある方がもうそれこそ、その人にとっては大変な事だっただろうと思います。記念祭のお供えを持ってきたお届けに。そしたらそん時に丁度その人の前に、徳永英明という人のお届けがあっておった。してそれを頂くんです。こういう生き方が御徳をいうなら。何時何時までも置かれるというか。永遠の助かりと言うても良いでしょう。こういう生き方が、徳を受けるんだよという御理解を丁度その時に、何か西岡先生が来ておりましたから「ちょいと西岡先生信心とはこういうもんばい」と言うて話した事でした。
 今なかなか不景気で、商売も思うようにありません。だから本当にああもしたい、こうもしたいという思いばっかりで出来ません。もうそれでいいのだと。いえばそれまでのこと。私は教祖様はねこのお言葉の中には、そういう一つのあのよくこう言う手でというか、テクニックを感じますですね。山口に唐木という大変お徳を受けられた、それこそ飛ぶ鳥を落とすような勢いで人が沢山助かった。毎月山口から御霊地へお参りをされる。時に教祖様がわざわざ、そういう遠いところから参って込んでも。
 うちから拝めばそれでおかげになると。わざわざ山口辺りから、岡山それこそ乗り物の不便な時代ですから、そう言うてあのしきりと仰る。それでよくよく考えて見りゃ、それもそうだなと言うてその、月参りをぴちっとやめられた。やめられたらもうやめられた時点から、ゴヒレイが落ちてもう亡くなられる頃には、小倉の桂先生もちょっとお世話になられた事がありますから、桂先生の所にまあおいでられて、暫くまあ居候の様な事の状態の時代があった。
 所が今度は小倉の教会が、そのお参りの足がぴたっと止まってしまった。神様にその事を桂先生がお届けされたら。その事の意味は私はよくまあだ、良く分かりませんけれども、例えばあの釣鐘ですね。釣鐘のごうんというあの音を立てるほどしのものを内容に持ちながら、竜頭というのはあの上に、吊り下げてあるところに、竜の姿がこうありますわね。あの竜頭を叩くような事をするから、おかげにならんと。直ぐ山口にその、先生を返せと言うてござる。
 それでその事をまあ暗に、先生実はこういうお知らせを頂きましたがと言うて、その先生に山口の唐木という先生にその事を話されると。やはりあの直ぐそれを悟られた。そしてまあ帰られた。もう帰られた後からもうきびすを返すように、お参りがまた始まったと言われております。だからもう徳を受けておっても、徳を落としたらお仕舞いですね。私共も本当にこうやっておかげを頂いて、もうまだ福岡におります時分の修行中の事ですから、まだそれこそいっぱいあの難儀の真っ最中でしたが。
 あるときお参りをさせて頂いた。その頃は神様にお願いをさせて頂くと、あの教祖様とお願いをすりゃ教祖様が教えて下さり、四神様と言や四神様が教えて下さり、たまにはまあだ三代金光様も、いうならば色々お指図を下さった。石橋先生桂先生まあそういう、私共の先達であり、先輩である先生方の御霊様も、私がお願いをすると直ぐその立場立場で、いわゆる教えを頂いておった。
 どげん考えても私ぐらいな信心に、神様やら御霊様が、こんな働きをして下さるんだけれども、しかも的確にいろんな事を教えて下さるんだけれども、どうした事だろうかと、自分のようなものにと私は御祈念中に、福岡の教会ででした。あのお礼をあの思わせていただきましたら、本当にお前は分かりやすくいうならば幸せなもんだと。桂といや桂が出てき、石橋といや石橋が教える。教祖といや教祖が出てくる、二代金光様四神様といや四神様が出てきて色々修行さして下さる。
 本当にお前は恵まれておるという意味の事を頂いたから、本当にこんなお徳を頂いて勿体ない。本当に私のように信心も出来ませんのにと申しましたら、お前のは頂いておるとじゃない、神からの借り物じゃと神様が仰った。もう本当にそう思いました。私ぐらいな信心でそげんお徳の頂ける筈はないと思うておりますもんですから、はあほんにそうどころじゃございますまい、私のは借り物に相違はないと改めて分からせて頂いた。そしたら神様から一生借り続ければ、そなたのもんだと神様が仰った。
 一生借り続ければそのほうのものだと。教祖様も此の方とても、油断をすりゃいつ神様からお暇が出るやら分からんとこう仰る。私共は今にそれをずっと借り続けておるわけですけれども、これを一生借り続ける事のために、一生懸命信心させて頂きたいと私は思うております。ほんならそういう自分の信心が、どう言う事だったかというと、もう参って込んでよいぞと言われて、ほんならああそうですな、そういうふうな感じでもう長う月参りを欠かした事はなかったし。
 さあ親教会のその大祭だ何だという時には、もう無いからもう無い袖の下を振らせて頂きながら、おかげ頂いておった。だからここ辺のところがね、私はここんところを、安易に頂いちゃならん。日傭取りじゃから暇が無かろうから、参ってこんでん良かとか、病人がおるとじゃから、わざわざ病人ほうからかして参って来る事は要らんとか、と言われても、そこを神様に任せてすがって、お参りをする信心の方を進めると言う様な生き方です。唐木先生が教祖もそう仰るもんだから。
 それもそうだなと言って、やめられたら途端に、結局やはり御徳というものは、どんなにゴヒレイが輝き、飛ぶ鳥を落とすほどしの勢いがあったとても、神様からのやはり借り物であり、または貸し物であると言う事が分かります。それに引き換えて、近藤藤守という先生は大阪から、いわゆる難波からお参りになられる。毎月ご夫婦でもうそれこそ、船やら籠やらを利用しながら参ってこられる。
 それで金光様がやっぱり何回も仰った。「近藤さんそう繁々と参って込んでも、うちから拝んでうちから拝んで人を助けてやれ」とこう仰った。それでも参ってきなさる。それであるとき、声を少し荒げて仰せられたそうです。「参って込んでも良いが」と。そん時に、藤守先生が仰っておられる事は、「これは金光様お言葉ではございますけれども、私共、夫婦には、親がございません。勿体ない話ですけれども、親様にお目にかかるような思いでお参りさせていただいております。」
 だから「この事だけは曲げてお許しを頂くように」と言うて、お願いなさったと言う事です。そん時のご裁伝が近藤藤守、真の信心になったというお言葉だったそうですね。だから、真の信心とはそういうものだと言う事です。やむにやまれないものだと言う事です。昨日私がお取次させて頂いた、こんなにあんた、沢山なお供えをせんでも、今そげな楽でもないとに、とまあ言葉で言うなら、言いたいようなお取次ぎであったが、神様は徳永英明というお知らせを頂いた。
 こういう生き方がお徳を受けるんだ、ただ参りよります拝みよりますと。ただ自分が中心であり、自分がただおかげを頂かにゃならんから、お参りをすると言った様なのになったら、誰だって欲があるから参るです。今日私はここんところをね、いわゆる教祖様のみ教えには押せば返ってくると、そこんところの理を知っておられる。お取次のひとつのテクニックのようなものだったと私は思うです。
 信心の稽古にと言う事ですけれども、信心の稽古をさせて頂くならば、おかげを頂く稽古からもう一歩前進して、御徳を頂く稽古をなさらにゃいけません。近藤藤守先生のところではそれこその信心で、いうならば関西、関東のほうの教会が、全部藤守先生の言うなら、息のかかっとらん所は無いというほどしの、大ゴヒレイを頂かれた。山口の唐木先生の所では、成程一代一時代は、それこそ飛ぶ鳥を落とすような勢いで発展したけれども最後には、お広前にぺんぺん草が出来るようになったと。
 桂先生のお伝記には出ております。ぺんぺん草という事は分かるでしょう。だぁれも手入れするものもないというのです。かわらに草が生えるようなふうに、落ちぶれていかれたと。もちろん跡も無いです。本当に信心のいうならば大事なところです。だからおかげ、おかげであったら。まあ無難の様でもなら徳永です。永遠の助かりと言う様なお徳には触れられません。この辺のところをです。皆さん今度の記念祭には。そういう力の受けられる。毎日毎日沢山の人が。
 毎日やっぱり多い時には、百二十名から少なくても八十名ぐらいの人達が、毎日御用頂いております。けれども一日だんいかにゃお世話になっとるとだけんでというぐらいで、御用に来る人もある。かというてまるきり自分の事以上のように、打ち込んで御用を頂く人もある。かと言うてなら御用にもなぁんも出てくると言う事も無いという人もあるのです。一つ本気でもう愈々明日にまあ、控えたわけでございますけれども。
 いうならば記念祭は氏子の為にあると言われるのですから、その記念祭を、どう私共が頂くかといういうならば。記念祭を拝むという、その拝む前に私は記念祭は、もうすでに始まっておる。そういう信心から記念祭を境にお徳を受けた、力を受けたと言う様なおかげにもなってくると思います。今日はいうならば教祖のお言葉には裏がある。今日はその裏のところを聞いて頂きました。
   どうぞ。